作家インタビュー

日本テレビ系ドラマの初期

日本テレビでの一番最初の仕事は、『日産スター劇場』(1963~1969)という番組です。まだ、山本直純先生の門下にいた頃です。日テレの演出は津田昭さんでした。直純先生は福田陽一郎さんという演出家との仕事が多くて、その下でADをやっていたのが、後に僕とコンビでいろんなドラマをやらせて頂く石橋冠さんでした。他に中島忠夫さんという通称・お兄ちゃんっていう方も演出にいました。後にかずかずの作品を御一緒することになります。

日テレの仕事の初期には、局内に音楽ディレクターの方がいる音楽管理という名称だったと思いますが、専門のセクションがあって、その方と音楽制作の打合せをして、演奏家の編成を決めていきました。録音現場ではそのディレクターが演奏のキュー(始める合図)を出してました。昭和30年代後半まではそうした仕事の進め方であったと思います。そのセクションが無くなってから、映画会社がドラマ制作の下請けをするようになって、テレビ映画(フィルムで撮影したドラマ)が作られる時に、制作費の節約のために、各回の台本に合わせて音楽を作るのではなく、前もって予測でたくさんの劇伴を1回で録音する貯め録りという方法が始まったんです。やがて局制作のドラマでも、映画会社から逆輸入するようにその方法を取り入れるようになりました。作曲家にとっては面白くないシステムになってしまいました(苦笑)。

土曜グランド劇場『2丁目3番地』

(放送期間:1971年1月2日~3月27日)

石橋冠さんとはこのドラマの前にいくつか仕事をさせて頂いていて、どういう音楽を望んでおられるのかが、かなりわかっていました。この時は、ちょうど僕が書きたいと思っていた音楽と、石橋さんからの音楽的な要求がうまく合致して、主題歌や劇伴が出来た記憶があります。

このドラマでは主題歌を作ろうということになって、「赤い鳥」は、当時は日本テレビ音楽にいた飯田則子さんが見つけてきたんじゃないかと、記憶ですが…。作詞の阿久悠さんは、石橋さんか、あるいは当時の日本テレビ音楽の社長だった砂土居政和さんのアイデアで決まっていったのではないかと思います。
しかし、この主題歌「目覚めた時には晴れていた」は、事情があって残念ながらレコード化されませんでした。それで後のドラマ『3丁目4番地』の主題歌を歌った「ビリー・バンバン」がカヴァーしたり、『二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ』(1976)というドラマで「伝書鳩」がこの曲を歌って主題歌に再び使ったりしていたんです。それが40年以上経って、先だって発売になった僕の作品集『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』に、「赤い鳥」が歌ったオリジナルのテレビサイズ版が収録されて嬉しく思っています。

『二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ』の主題歌に再度起用された時も、嬉しかったですけど、その反面、新曲を作っても良かったなと思っていました(微笑)。この曲を再び主題歌にというのは石橋さんのアイデアで、「伝書鳩」の起用は飯田さんだったと思います。日本テレビ音楽の管理楽曲では初期の作品ですね。

土曜グランド劇場『3丁目4番地』

(放送期間:1972年1月8日~同年4月8日)

主題歌「さよならをするために」は、
チャート最高順位1位

(1972年度年間3位)

主演の石坂浩二さんを主題歌の「さよならをするために」の作詞家として起用するというアイデアも石橋さんでした。『2丁目3番地』の続編ですが、その『2丁目3番地』の時の共演がきっかけで石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんのカップルが誕生、結婚したので、『3丁目4番地』では、共演者としては起用出来ないな…ということになり、石坂さんが詩を書いているということをきいた石橋さんが、出演出来ないならば主題歌の作詞をしてもらおうと考えたんです。曲を先に作るメロ先でした。この頃は詞先が多かった時代ですが、僕がメロ先が良いと思っていたのは、主題歌のメロディーをドラマの中で多用したかったんです。番組のテーマ(主題)として、劇伴に様々なアレンジで多用出来るメロディーをまず作って、それに詞を付けて主題歌を作るという考え方でした。

明るいドラマでもマイナーのキーで主題のメロディーを

これは重要なポイントなのですが、『2丁目3番地』も『3丁目4番地』もいろんな人間関係が出てきますが、ホームドラマでした。ホームドラマというと普通はメジャーキーの明るめの曲なのに、このドラマはなぜマイナーのキーで作った曲なのかという疑問、意見が当時もあったと思います。僕がホームドラマでもマイナーのメロディーを主題歌や劇伴の主題にしたのは、石橋さんが演出されるホームドラマが明るく展開して喜劇的であっても、その背後にある、人々のペーソス(感情、哀感)もあるでしょうし、人間のふれあいを明るいドラマのままの音楽よりも、少しメランコリックなニュアンスを持った音楽が寄り添うことで、明るさが際立ちますし、心のふれあいをより効果的に音楽として寄り添えるだろうと考えていたんです。それは、石橋さんによる音楽の使い方も非常に巧みであったということもあって、成功したと思っています。

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