作家インタビュー

ー 日本テレビ以外の作品について ー

名作劇場『母をたずねて三千里』

(フジテレビ系/放送期間:1976年1月4日~同年12月26日)

実写のドラマや映画とアニメーションとでは音楽作りの発想はかなり違います。実写のドラマや映画は生きた人間が演じていますから、観ている人は表情から内面が汲み取れますが、アニメーションの場合はやはり絵ですから、役者が演じるのとは違って、表情から汲み取れるものは限られます。それを音楽で補足あるいは説明する必要がありました。
実写の場合はまた、役者が演じている状況から音楽は少しズラしたというか、少し外した音楽を付けることで、効果がより生まれるということがありますが、アニメーションはそれが出来ませんから、割と素直に状況を説明する音楽でやっていく必要がありました。作り方が違うわけです。また、音楽は最初に多くの曲を貯め録りしておいて、後から映像に選曲していきますから、選曲に使いやすいということも意識しながら作りました。

もっと昔はラジオドラマというのがあって、それは視覚的なものが何も無い声だけですから、音楽はもっと説明をしなくちゃいけないということがありました。ラジオドラマと実写の映画やドラマの中間にあたる音楽の考え方、作り方がアニメーションにはありましたね。映画とテレビドラマとでももちろん音楽の作り方は違うんですが…。

主題歌「草原のマルコ」の作り方

日本アニメーションの深沢一夫さんというプロデューサーが作詞をなさって、詞を先に作って頂いたんです。大杉久美子が歌ったメロディーは、マルコがお母さんを探すためにアルゼンチンに渡って、そこからアンデスに向かう設定なので、前半のメロディーはアルゼンチンを中心としたところでよく使われるミロンガというリズムにしました。後半はアンデスのカルネバリートというお祭りのリズムを使って作曲しました。詞もそういうふうに作りやすい内容でした。

グラシェラ・スサーナというかつて日本に来てた歌手がいたんですが、彼女が僕が作った「さよならをするために」をギターの弾き語りで歌っていたんです。そのリズムに聞き覚えがあったので、「そのリズムはなんていうの?」と聞いてみたら「ミロンガ」だと。僕はアンデス音楽が好きでいろいろ調べていて、ミロンガというリズムがそこにあったんですね。

高畑勲監督とのエピソード

高畑勲監督は、エンディング・テーマの「かあさんおはよう」の作詞もなさってますが、今振り返ってみて印象深いのは劇伴の打合せです。最初の貯め録りした曲が足りなくなってから追加録音を2回くらいしましたが、その時も打合せして決めていきました。高畑勲監督はなかなか注文が厳しくて(苦笑)。台本は何話分かは受け取って読むんですが、貯め録りですから、予測で作る音楽なんです。予測で作るにしては監督の注文が細かくて、これはどうやったらいいんだろうとかちょっと悩んだことがありました。打合せでもかなり議論したことを覚えています。

朝の連続テレビ小説『おしん』

(NHK/放送期間:1983年4月4日~1984年3月31日)

大河ドラマ『おんな太閤記』(1981)など橋田壽賀子さんの作品が多いのは、NHKのドラマ部の中で、脚本家との関係が出来るグループ的な色分けがあるような気がしたんですけど、僕も橋田さんと仕事をする方との仕事が多くて、結果的に橋田脚本が多くなったのだと思います。

朝ドラは以前は1年間の放送でしたが、そのうち今のように半年間になっていました。この『おしん』は、NHKの放送開始30周年記念作として1年間放送するということでした。
この当時、朝ドラはNHKである程度、仕事の実績を積んだ若手の作曲家を起用するのが不文律の原則だったようです。なので、僕は以前『雲のじゅうたん』(1976)というのをやったので、朝ドラの仕事はもう無いかなと思っていましたが、『おしん』のオファーが来ました。他にも朝ドラの音楽を2作やっている方がいたので、別に1作だけということではないんだなと。なぜ僕に白羽の矢が立ったのかはよく覚えていません。この頃は、テーマのデモを前もって作ってスタッフに聴いてもらうということはなかったんです。でもこの『おしん』は1年間、月曜から土曜までの毎日、朝と昼に放送があるので、繰り返しに耐える曲を作らなければいけないと思って、僕としては、鼻歌で歌えるほど簡単ではないメロディーにしようというイメージを持っていました(微笑)。そうすることで1年間の放送を持たせられるんじゃないかと考えたんです。そして、1曲作ってみた後に、もう1曲作ってみようと思って、2曲出来ちゃったんです。僕の中では最終的にテーマ曲になったものの方が良いと思っていたんですが、出来た2曲をNHKに持っていってスタッフに聴いてもらいました。そこでチーフ・プロデューサーの岡本由紀子さんが「こっちですね」とおっしゃったものがテーマ曲に決まりました。こういうことをやったのは『おしん』が初めてです。

当時のNHKはまだ、民放と違って劇伴の制作を毎週やっていたんです。打合せと録音が毎週です。他の番組ではすでに収録した映像のビデオを受け取って、見て確認しながら作曲が出来るようにはなっていたのですが、朝ドラだけは、たぶん効率を考えてのことだと思いますが、この方法ではありませんでした。スタッフとの打合せで台本を見ながらどこに音楽を入れるかを決めて、演出家からその場面のイメージをお聞きして、台本を見ながら映像を予測して作曲、録音をします。その音楽をドラマの収録の時にスタジオで流しながら役者の演技を一緒に撮る、そういうシステムでした。役者にも音楽が聞こえちゃうんですね。
打合せの段階では、ここは35秒のエンディング(ラストシーン)ということで曲を作って、実際に撮ってみたらそのシーンが長くなって、音楽の長さが足りないということになって、音効のスタッフが音楽のテープを編集して曲を伸ばしたり、逆に短くなったから音楽テープを切ったりしていたんです。
ドラマを収録するビデオテープの音声トラックが、今みたいにマルチではなく1つしかなかったので、撮影しながら音楽も台詞や効果音も、バランスを調整しながら一緒に入れていました。そういう作り方だったので、総集編を作る時には、そのつなぎによって音楽がブツ切りになっちゃうんです。音楽だけミックスをし直そうという話も出ましたが、音楽テープの管理が悪く、紛失状態でどこにもなかったんです。後には出てきましたが(苦笑)。

僕としては特に最初は映像のかけらも見たことがないままで音楽を作っていましたね。こういったケースも僕が山本直純先生の弟子だった時から、台本だけで音楽を作るということを見ていたので、その点は苦にならなかったです。でも、大河の朝ドラも1年間の打合せと録音の連続に息切れしそうにはなりました(苦笑)。

PageTop