作家インタビュー

大学教授として作曲を教えていた時の楽しさと難しさ

尚美学園大学芸術情報学部・音楽表現学科・作曲コースで教えることになった頃は、当時の学生との年齢差は40年でした。十年一昔ということを考えると、40年というのはそうとうな世代間格差があるかなと危惧していたのですが、コミュニケーションが割と出来たので、心配していたほどではなかったんです。16年間教えていましたが、7、8年経った頃から平成生まれの学生が入ってきて、コミュニケーションをとるのも難しいぞって思うようになりました。なので最初の頃に教えた学生の印象が強く残っています。

僕が教えていたのは作曲の中でも商業音楽、特にテレビドラマや映画の音楽を中心に教えていました。僕の学生時代と圧倒的に違うのは、デジタルな時代であり、勉強のやり方もいろんな方法が出来ているということです。シンセサイザーやサンプラー、そうした音源を使ってコンピュータで打込みをすることができるようになっていました。なので、学生が自分で作った音楽を僕のところに持ってきて客観的に聴くことが出来ます。それを聴きながら、あるいは楽譜の作成ソフトも参照しながら具体的にこの音はなぜここでこうなの?などというのを訊きやすいし、これをこう変えたらどうなる?ということもその場でできるという非常に作曲を勉強する環境としては、我々の学生時代とは各段に便利に勉強しやすくなっているのを感じました。学生もそういった方法を熱心に取り入れながらやっていました。でも、勉強の方法には男女で傾向の違いが見受けられて、男子生徒はコンピュータが得意で、女子生徒は、絶対やりたくないという人もいたくらい苦手な人が多かったです。苦手なことは無理にさせられませんでしたが(苦笑)反対にせっかくある道具は使わなければと、一生懸命にやっている女子生徒もいました。

昔はある音楽が聞こえてきたら、このコード進行はどうなっているんだろう?って知りたくなった時に、楽譜が売っている訳ではなかったので、自分で懸命に耳コピーをして勉強しました。今の学生でもあえて耳コピーをする人もいましたけど、ちょっとWeb上を検索すると、なんらかの楽譜があるんですね。自分で努力して耳コピーするということがなくなってしまった弊害もあります。耳コピーをするということはいろんな鍛錬になるのです。

作曲を教えるのは非常に難しいですね。理論的にこれはおかしいとか、これはきちんと出来ているとか、このコード進行よりこっちが良いんじゃないの?という提示は出来ますが、音楽をどうやって発想するかというのはなかなか教えられないことなんですね。これは僕らも昔からそうでしたけど、古くからある音楽を模倣して作ってみるということをいろんな形でやるうちに、ゼロから自分で発想する力が生まれて、実力をつけるのに効果的な方法でもあるのです。なのでそういったことも学生にやらせました。では、どうやって本当に発想するかという根本を教えるのはなかなか難しいことだと感じました。学生個々のそれまでの音楽歴、音楽経験にもよっても違ってきますので。

近年の音楽活動、再びチェロを奏でる
劇『ワルツ~カミーユ・クローデルに捧ぐ~』

30年近く全く触ってもいなかったチェロを再開したんですが、最初は惨憺たるものでした(苦笑)。学生時代に弾いていた何分の一も弾けないんです。その後、必死で勉強して少し取り戻した感じですね。チェロはまだアマチュアだと思っていまして、新交響楽団というアマチュアのオーケストラに、プロの作曲家としてではなく、アマチュアのチェロ奏者として参加しています。自治体の援助も全く得ないオーケストラで、今は亡き作曲家の芥川也寸志さんが結成・指導された、アマチュアの中では一番上手いと言われているオーケストラです。毎週、プロより厳しい練習があって、入るにもオーディションがありました。団員の中には、坂田先生と呼んで下さる方もいたんですが、この中では、坂田さんで良いですとお願いしました。その方が、趣味として気持ちよく出来ますから。指揮者はプロの方が来るので、このオーケストラでいろんな指揮者の方に出会えました。純粋に趣味としてやっています。

趣味だけのはずのチェロを仕事で弾くことになってしまったのが、ロダンの没後100年記念公演として2017年に上演された劇『ワルツ~カミーユ・クローデルに捧ぐ~』です。生で音楽を演奏する朗読劇です。当初は作曲の仕事でお引き受けしました。生演奏の楽器編成はクラシックでいうピアノ・トリオ(ピアノ、バイオリン、チェロ)でなんとか出来るということでしたが、予算的に厳しく、演奏者1人ぶんを節約出来るので(苦笑)、僕がチェロも弾くことになりました。ステージの進行に合わせて演奏を始めるきっかけの合図も出来るし、その点で効率も良いと。そういう理由で図々しくも自分で弾いてしまったというわけです。チェロが朗読劇に使う楽器としても合っていました。

この朗読劇は以前からあったのですが、当初は僕の曲や歌は無かったんです。ある時、プロデューサーの方が、以前聴いたことがある音楽がこの企画には合うと考えて、でも作曲者はわからずにいたんです。仕事仲間にその曲を聴かせてみたところ、その仕事仲間は以前僕と仕事をしたことがあったので、すぐに「坂田さんの音楽だ」と判り、連絡を頂いたことが、この劇に関わるきっかけだったんです。

これがいろんな形で発展して、先日リリースした僕の作品集『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』では、主題歌「カミーユのワルツ」と挿入歌の「MITASORA」 をレコーディングすることになり、僕も舞台のままチェロを弾きました。

音楽以外の趣味は、趣味の域を超えた乗馬

40代に入って『池中玄太80キロ』の仕事が終わって、それまで忙しかったのがちょっと落ち着いた頃に、少し息抜きもしたいなと思ったのと、そろそろ運動もしなくちゃと考えていたところに、知人から乗馬を勧められました。八ヶ岳のふもとの小淵沢に乗馬クラブがいろいろあるので紹介すると言われて行ってみたんです。後に馬術をやるようになるんですが、最初は怖くてなかなか楽しめませんでした。馬が速歩(はやあし)で走る時に下から突き上げられるので、座っているのが難しいんです。それが出来るようになったら一人前だと言われました。
なかなか出来なかったのが悔しくて、毎週、小淵沢に車を運転して通って、朝から晩まで馬に乗ってました。1年くらいすると、他の人の4年分は練習した感じだったので、かなり乗れるようになり、面白くなってきました(微笑)。そのうち、乗馬クラブから自馬(自分の馬)を持ちませんかと言われて持つようになりました。自馬を持つようになると、その馬で競技会にも出るようになって、山梨県大会などに出るようになって、そこで優勝もしました。さらに馬術を始めるようになって、馬術競技も出るようになって、3年か4年目で今度は日本馬術連盟のインストラクターの資格もとれたんです。それくらいにのめり込みました。
落馬もしょっちゅうありましたが、そのうち落ち方も慣れていったんですが、慣れた頃に、障害物競走の障害物に不備があって、骨折して3ヵ月入院したこともあります。
自馬はもう持っていませんが、今も小淵沢に行けば乗っています。実は乗馬に通ううちに、通うのが面倒になって、乗馬クラブの近所に家を建ててしまって、住民票も山梨県に移していた時期もありました。学生の頃からそうだったように、僕は何をやっても趣味の域を超えちゃうんですね(微笑)。

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